大山(だいせん)――崩れゆく最高峰と、「西の谷川岳」と呼ばれた冬の山
中国地方最高峰・大山の公式頂上は、標高1,709mの弥山だ。最高点の剣ヶ峰(1,729m)は「お控えください」という看板の先にある。法的拘束力はない。しかしその先に広がるのは、足を踏み出すたびに崩れ落ちる尾根と、踏み込んだ登山者が山体崩壊を加速させるという現実だ。神話の時代から人々が崇めてきたこの山が、今なぜ「崩れながら生きている」のかを読み解く。
大山 剣ヶ峰方面(標高1,729m)——弥山山頂から望む縦走禁止区間の稜線 / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
出雲神話が刻んだ「火神岳」の1300年
大山が文献に登場する最古の記録は、奈良時代の天平5年(733年)に編纂された『出雲国風土記』だ。国引き神話の中で大山は「火神岳(ほのかみのたけ)」と記され、海の向こうから島根半島を引き寄せる縄を繋ぎ固めるための「杭」として登場する。神が大地を作り変えるための道具——それがこの山の最初の役割だった。
弥生時代から霊峰として崇められてきた大山には、仏教伝来後に大山寺が建立された。修験道・道教・山岳信仰が混ざり合いながら、大山寺は真言宗から天台宗へと宗旨を変えつつ発展し、中世には「大山詣で」として西日本各地から参拝者が訪れる一大霊場となった。江戸時代には年1回の弥山禅定の儀式だけが許され、大山寺の僧侶2名と先達3名のみが頂上に登ることができた。一般の登山者が自由に入山できるようになったのは明治以降のことだ。
明治8年(1875年)には廃仏毀釈により大山寺の寺号が廃絶され、42あった僧房は10に激減した。しかし信仰の火は消えず、1903年(明治36年)に寺号は復活。現在も毎年6月の「大山夏山開き祭」では、たいまつを持った2,000人が麓を練り歩く「炎の河」が行われ、神仏習合の記憶を今に伝えている。
「崩れながら生きている山」——山体崩壊の現実
大山の山体を形成するのは角閃石安山岩だ。この岩質は非常に軟らかくもろく、激しい浸食作用を受け続けている。北壁・南壁はほぼ垂直に切り立つ岩壁で、常に崩落が続いている。登山者が縦走路を歩けば、踏み込んだ足の力だけで岩が崩れて落ちる——それがこの山の現実だ。
崩落が特に激化したきっかけのひとつが、2000年の鳥取県西部地震だ。マグニチュード7.3のこの地震以降、山肌の崩落が目に見えて激しくなり、弥山から剣ヶ峰への縦走路では稜線の両側が崩れ落ちる状況が続いた。現在、この縦走路は大山遭難防止協会の要請によって「通行はお控えください」という表示が出されている。
弥山〜剣ヶ峰の縦走路規制は、法令(自然公園法・災害対策基本法)に基づくものではない。鳥取県警察本部・林野庁・環境省のいずれも「法令に基づく規制ではない」と回答しており、法的拘束力はない。これは大山遭難防止協会(民間団体)と鳥取県警による安全上の強い要請だ。従うかどうかは法律ではなく、登山者の倫理と判断にかかっている。
ここで見落とされがちな視点がある。剣ヶ峰縦走の問題は「危険だから」だけではない。登山者が縦走路を歩くことで岩が崩れ、山体崩壊をさらに加速させるという環境破壊の側面だ。環境省が公式サイトで「崩落が激しく危険なため縦走路のご利用はお控えください」と記しているのは、登山者の安全と山の保全という2つの理由からだ。
弥山山頂の現状もまた、登山者による環境への影響を示している。昭和40年代の登山ブームで山頂は裸地化が進み、雨水による浸食溝が深刻になった。これを受けて1985年に「大山の頂上を保護する会」が結成し、登山者が山から崩れた石をひとつリュックに入れて登り、山頂に返すという「一木一石運動」が始まった。地道な取り組みが今も続けられている。
「西の谷川岳」——標高を超えた冬山の厳しさ
大山は標高1,729mの山だ。しかしその「標高に似合わない」厳しさは古くから知られており、「東の谷川岳、西の大山」と並び称されるほど冬山の遭難事故が多い山として知られてきた。
理由は地理的条件にある。大山は中国山地からやや離れた独立峰で、その裾野は日本海に達している。冬の日本海から吹き付ける季節風を、遮るものなくまともに受ける位置にある。鳥取県警も「いったん天候が崩れると標高3,000メートル級に匹敵する厳しい山となります」と明記しているほどだ。
大山における最初の遭難死亡事故は1937年12月6日に起きた。当時まだ大山では遭難死亡事故が起きていなかったため、島根県の登山家・山本禄郎は1938年の『関西山小屋』新年号で「いつ冬の遭難事故が起きてもおかしくない」と警告を記した。しかしその雑誌が販売される直前の同年12月、山本自身が率いるパーティ4名が下山中に天候の急変で道を失い、山本を含む3名が命を落とした。警告を書いた本人が、その山の最初の遭難死亡者となるという皮肉な事態だった。
以降も大山では冬季を中心に遭難事故が繰り返されている。特に夏山登山道でさえ、6合目から上は急激に条件が変わる。2020年12月には、ホワイトアウトに見舞われた登山者が8合目付近で道を失い、翌朝まで約20時間にわたって身動きが取れなくなった事例が記録されている。登山アプリYAMAPの位置情報が救助に役立ったこの事例は、現代における大山遭難の典型的なパターンを示している。
「最高峰に登れない山」をどう歩くか
大山には現在、一般向けに公式に案内されているルートが2つある。北側斜面を登る夏山登山道(初心者向け)と、三鈷峰方面に向かうユートピアコース(上級者向け)だ。弥山山頂からの360度の展望——日本海から大山山系の全貌まで——は、この2ルートで十分に堪能できる。
剣ヶ峰縦走路の「お控えください」という表示を無視して進む登山者は今も後を絶たない。技術的に通過できる登山者がいることは事実だ。しかし前述のとおり、問題は「行けるかどうか」だけではない。踏み込むたびに脆い岩が崩れ、救助を呼べば救助隊員が危険な場所に入ることになり、落石は下方にいる登山者を巻き込む可能性がある。
大山はゴミ持ち帰り運動の全国的な発祥地でもある。一木一石運動もそうだが、「山に来た者が山を守る」という文化が長く根づいてきた山だ。剣ヶ峰縦走の自粛もまた、法律ではなくその文化の延長として理解することが、この山への敬意につながるのではないだろうか。
