八ヶ岳と富士山の背比べ伝説――地質学が証明した昔話の真実
かつて富士山は八ヶ岳より低かった。単なる昔話と思われてきたこの伝説を、現代の地質学が裏付けた。
八ヶ岳・赤岳と阿弥陀岳 / 写真: Wikimedia Commons (CC BY-SA 3.0)
かつて富士山は、八ヶ岳より低かった。
そう言うと多くの人が首を傾ける。日本最高峰・富士山が、標高2,899mの八ヶ岳に負けていた時代があったというのか。しかし地質学者はこう答える。「その通りです」。
長野・山梨・諏訪の山里に古くから語り継がれてきた「八ヶ岳と富士山の背比べ伝説」は、単なる昔話ではなかった。10万年以上前の大地の記憶が、伝説という形で現代まで生き残っていたのだ。
伝説の全容
伝説はこんな話だ。
むかし、八ヶ岳と富士山はどちらが高いかで言い争いをしていた。当時は八ヶ岳の方が高く、富士山はそれを認めようとしなかった。そこで二つの山は阿弥陀如来に判定を頼んだ。阿弥陀如来は高い山から低い山へと水は流れるという原理を使い、八ヶ岳の山頂から富士山へと樋で水を流した。水は見事に富士山へと流れ込んだ。八ヶ岳の勝ちだった。
ところが富士山はこの結果に激怒した。「そんな判定は認めない」と八ヶ岳に飛びかかり、その頭をたたき割ってしまった。八ヶ岳の山頂は八つに砕け散り、山の高さは大きく下がった。砕けた山頂の破片が飛び散ったとき、大地が揺れ、諏訪の盆地に水が溢れ出した。それが諏訪湖の始まりだという。
伝説によって細部は異なるが、共通するのは「八ヶ岳がかつては富士山より高かった」という核心だ。そして富士山の逆ギレによって八ヶ岳が砕かれ、諏訪湖が生まれたという結末も、各地の伝承に共通して登場する。
地質学が証明した「伝説の真実」
この伝説を最初に聞いたとき、多くの人は「面白い作り話だ」と思うだろう。しかし地質学者たちは驚くべき事実を突き止めた。
八ヶ岳はかつて標高3,400mを超える高さがあったと考えられている。富士山の活発な火山活動が始まったのは約10万年前。その頃の富士山はまだ2,700m程度だったとされており、八ヶ岳の方が確かに高かった時代があったのだ。
では八ヶ岳はなぜ低くなったのか。約21万年前から数回にわたる大規模な山体崩壊が起きたとされている。崩壊した土砂は甲府盆地に向かって流れ込み、現在の韮崎市付近に「七里岩」と呼ばれる断崖絶壁の台地を形成した。この七里岩は、八ヶ岳が崩壊した証拠として今も残っている。
さらに驚くべきことに、崩壊した土砂が諏訪盆地をせき止め、諏訪湖の原型が形成されたという説もある。伝説が「八ヶ岳が砕けて諏訪湖が生まれた」と伝えているのは、地質学的に見ても的外れではないのだ。口伝えで語り継がれてきた伝説の中に、現代の地質学が裏付ける事実が含まれていた。文字も記録もなかった時代の人々が、大地の変動を伝説という形で後世に残していたのかもしれない。
伝説が生まれた土地・諏訪
この伝説が特に色濃く語り継がれてきたのは、諏訪地方だ。
諏訪は古くから山岳信仰の地だった。全国に25,000社以上あるとされる諏訪神社の総本社・諏訪大社がここにある。7年に一度行われる「御柱祭」は、八ヶ岳山麓から切り出した巨木を諏訪大社まで引いてくる祭りで、1,200年以上の歴史を持つ。
山と水と神が混然一体となったこの土地に、八ヶ岳と富士山の背比べ伝説は深く根を下ろしている。諏訪湖の名前の由来、大泉・小泉という地名、七里岩の成り立ち。身の回りの地形すべてに伝説が絡み合っている。文字のない時代、人々は大地の形成をどう理解しようとしたか。その答えが、神々の争いという形で語り継がれてきたのだろう。
現代の赤岳へ――伝説の山を登る
伝説の舞台に実際に立ちたいなら、赤岳が目標になる。八ヶ岳の最高峰・赤岳(2,899m)は日本百名山の一つで、「中部山岳随一の展望台」とも称される。山頂からは富士山・北アルプス・南アルプスを一度に見渡せる大パノラマが広がる。晴れた日には、富士山がかつての「ライバル」として眼前にそびえる。
赤岳の難易度は中級者向けとされている。鎖場や鉄ハシゴが多く、足場が不安定な箇所もあるためヘルメットの着用が推奨される。初心者には雪のない7月〜10月がおすすめだ。健脚者には赤岳から横岳・硫黄岳へと続く縦走もおすすめで、爆裂火口が迫力の硫黄岳、垂直の岩壁が続く横岳と、個性豊かな山が連なる。
かつて富士山より高く、神々が争った山の頂に立ったとき、眼下に広がる富士山をどんな気持ちで眺めるだろうか。富士山はあの日の「逆ギレ」を今も覚えているだろうか。
