「アルプス一万尺、小槍の上で、アルペン踊りをさあ踊りましょ」

この歌を知らない日本人はほぼいない。しかし「小槍」が何か知っている人は少ない。小槍とは、槍ヶ岳山頂直下にある岩峰だ。その標高はちょうど一万尺(約3,030m)。ロッククライミングなしでは登れない垂直の岩峰の上で踊ることは、当然ながら不可能だ。

この山を江戸時代に初めて踏んだのは、一人の僧だった。わら草履で。天気予報も山小屋もない時代に。

アルプス一万尺と小槍の真実

「アルプス一万尺」の原曲はアメリカ民謡「ヤンキー・ドゥードゥル」だ。戦後の登山ブームの中で山好きたちが日本語の歌詞をつけて歌い継いだ「山男たちの内輪歌」が全国に広まった。

歌詞は実に29番まである。1番の「小槍の上で」以降、山の情景や山男の心情が延々と続く。全部歌い切るには相当な時間がかかる。

小槍は槍ヶ岳本峰の山頂直下にある岩峰で、本格的なロッククライミング技術がなければ登れない。頂上の面積は畳一枚ほど。そこで「アルペン踊り」を踊るのは物理的に不可能だ。それがわかっていて歌うのが、この歌の粋なところだ。

播隆上人という人間

1786年、播隆は富山に生まれた。19歳で出家し、諸国を行脚する苦行僧の道を歩んだ。寺院の堕落した姿に失望し、ひたすら山を歩き続けた。

転機は笠ヶ岳での体験だった。山頂でブロッケン現象を目撃した播隆は、光の輪の中に仏の姿を見た。その感動が、槍ヶ岳開山への情熱に火をつけた。

「世の人の恐れ憚る槍の穂も やがて登らん われ始めて」

播隆はこの歌を詠み、槍ヶ岳登頂を誓った。当時、槍ヶ岳は「人智の及ばぬ神の領域」として登ることを忌み嫌われていた山だった。

マッターホルンより37年早い初登頂

1828年7月20日、播隆は2人の同行者とともに槍ヶ岳山頂に立った。わら草履。濡れに無防備な綿の衣。天気予報なし。山小屋なし。現代の装備から見れば信じられない条件での登頂だった。

播隆が槍ヶ岳に初登頂した1828年は、ヨーロッパアルプスのマッターホルン初登頂(1865年)より実に37年早い。世界的に見ても、槍ヶ岳の初登頂は「近代登山以前の偉業」として際立っている。

山頂に立ったとき、播隆は五色の虹の中に阿弥陀如来が現れる幻を見たという。再びのブロッケン現象だったと思われる。播隆にとってそれは、開山の使命が成就したことを告げる神仏のお告げだった。

鎌と包丁を溶かして作った鎖

初登頂の後、播隆が取り組んだのは「一般の人も登れる山にする」ことだった。槍ヶ岳の穂先は垂直に近い岩場で、鎖がなければ一般の人には登れない。

播隆は全国を行脚して浄財を集めた。信者たちは鉄を寄進した。包丁、鎌、はさみ。台所道具として使っていたものを溶かして、鎖の材料にした。集まった鉄で鎖を作り、槍ヶ岳の穂先に設置した。

しかし播隆自身は鎖の完成を見ることなく病に倒れた。1840年、病床で「鎖が完成した」という報告を受けた播隆は、安らかに息を引き取った。55歳だった。

播隆が設置した鎖の後継として、今も穂先には鎖と鉄ばしごが設置されている。現代の登山者が槍の穂先に立てるのは、190年前に一人の僧が台所道具を集めて回ったからだ。

加藤文太郎と北鎌尾根(1936年)

槍ヶ岳には、もう一つの悲劇が刻まれている。

加藤文太郎。「不死身の加藤」と呼ばれた昭和の登山家だ。単独行・無酸素・冬季登山を信条とし、誰も成し遂げていないルートを次々と踏破した。新田次郎の小説「孤高の人」のモデルだ。

1936年1月、加藤は槍ヶ岳北鎌尾根の冬期縦走に挑んだ。単独行を信条とする加藤が、このとき初めて仲間を連れていた。荒天が続く中、二人は北鎌尾根の稜線で力尽きた。遺体は翌春まで発見されなかった。36歳だった。

単独行の先駆者が、最後は仲間とともに山に消えた。北鎌尾根は今も「日本最難関の一般登山ルート」として、一部の登山者だけが挑む。

槍ヶ岳に登るなら――ルートと山小屋

槍ヶ岳への登山ルートは主に3つ。難易度はルートによって大きく異なるが、穂先(山頂)の鎖場・鉄ばしごは全ルート共通で通過する。

槍沢ルート(上高地発・最も一般的)
上高地BT → 横尾 → 槍沢ロッヂ(泊)→ 槍ヶ岳山荘 → 山頂
コースタイム:上高地から約10時間/1泊2日が標準/初中級者向け
飛騨沢ルート(新穂高温泉発・静かな山行)
新穂高温泉 → 槍平小屋(泊)→ 槍ヶ岳山荘 → 山頂
コースタイム:新穂高から約9時間/登山者少なめで静か/中級者向け
表銀座ルート(稜線歩きが美しい・健脚者向け)
中房温泉 → 燕岳 → 大天井岳 → 槍ヶ岳(2〜3泊)
北アルプスの大展望を満喫できる縦走ルート/健脚者向け

各ルートの最新情報・山小屋の予約は槍ヶ岳山荘グループ公式サイトで確認してください。

おすすめ山小屋
槍ヶ岳山荘
山頂直下・標高3,080m・1926年創業・650人収容。穂先アタックの拠点として最適。ご来光と雲海の絶景が待っている。
槍沢ロッヂ
上高地ルートの中継点・標高1,820m。温かみのある雰囲気で、槍沢の清流を眺めながら疲れを癒せる。
鏡平山荘
新穂高ルート上・標高2,300m。鏡池に槍・穂高連峰が逆さに映る絶景は「日本の山小屋風景」の代名詞。かき氷が名物。
燕山荘
表銀座ルートの起点・標高2,712m。ライチョウが間近で見られることでも有名。オーナーのホルン演奏は名物。