トムラウシ山遭難

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トムラウシ山――なぜガイドは止めなかったのか

2009年7月、夏山シーズンの北海道で8名が死亡。日本の夏山登山史上、最悪の遭難事故が残した問いとは。

トムラウシ山

Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

発生日
2009年7月16日
死者
8名(19名中)
死因
低体温症(凍死)
分類
気象遭難・ツアー登山

2009年7月16日。北海道・大雪山系トムラウシ山で、夏山登山史上最悪の遭難事故が起きた。

18名のパーティのうち8名が死亡した。7月の北海道、夏山シーズン真っ只中のことだ。気温は5〜7℃、風速は20〜25m——台風並みの暴風雨が稜線を吹き荒れていた。

「低体温症の知識は、文字の上では知っていた。しかし、実際に自分がなってみて、こんなにあっけなくなるんだと感じた」
——生還したガイドの証言(トムラウシ山遭難事故調査報告書より)

神々の庭とツアー登山

標高2,141m。大雪山系の南端に位置するトムラウシ山は、7月の稜線に咲き乱れる高山植物から「カムイミンタラ——神々の遊ぶ庭」とも呼ばれる日本百名山のひとつだ。旭岳から縦走する3泊4日のコースは中高年登山者に人気が高く、ツアー登山の定番ルートになっていた。

今回のツアーはアミューズトラベルが企画した旭岳〜トムラウシ山縦走コース。参加者15名・ガイド3名・シェルパ1名の計19名。参加者は55〜69歳、多くは登山経験豊富なベテランだった。しかしパーティはほぼ初対面同士で編成された「急造パーティ」で、互いの体力も装備も、誰も正確に把握していなかった。

なお、2002年にも同山で同様の低体温症遭難が発生し女性1名が死亡している。その教訓は、7年後のパーティには届いていなかった。

前日からの異変

事故の前日、7月15日。ヒサゴ沼避難小屋に到着した時点で、すでに問題は始まっていた。朝から終日雨が降り続き、メンバーの装備が大量に濡れた。濡れた衣類を乾かそうとしたが、避難小屋ではほとんど乾かない。リーダーのガイド甲(61歳)は「着干し」を指示したが、濡れた靴下をそのまま着用し続けるメンバーがいた。「濡れた衣類が低体温症の危険を招く」という知識自体が、パーティ全体に欠けていた。

気象庁は翌16日の悪天候を予報していた。前日には別のツアー会社のパーティが同じルートで低体温症者を出し、撤退していた。その情報は、ガイドたちには届いていなかった。

出発の判断

7月16日午前5時30分。ガイド甲は出発を決定した。山頂への直登は諦め、迂回コースへの変更を告げた。しかし天候の詳しい説明はなく、「どんな衣類を着るべきか」というメンバーへの指示もなかった。全員が雨具を着用したが、その下を薄着のまま歩き始めたメンバーがいた。

出発から1時間も経たないうちに、2名が何度も転倒するようになった。前日から濡れたままの衣類、不十分な防寒、そして台風並みの暴風雨。低体温症への条件は出発前から揃っていた。

「こんな天候の日に行くんか、と思ったが、ツアー登山では我がまま言ったらきりがない。自分でセーブした」
——女性客G(64歳)の証言(調査報告書より)

北沼での崩壊

稜線に出ると風は一変した。生還者の証言によれば「体とザックに対する風の圧力で木道から飛び出しそうになった。町で台風に遭った時がそれだ」。このような風を山で経験したことは一度もなかったという。コースタイムの約2倍の時間を要しながら、一行は北沼へとたどり着いた。

北沼の渡渉点で事態は急変した。増水した沼からの水が川幅2mほどの流れになっており、渡渉が必要となった。ガイド丙(38歳)が客を支えながら渡渉中、強風に体を持って行かれ全身ずぶ濡れになった。水中に浸かった場合の熱喪失速度は、濡れただけの場合と比べて格段に速い。この瞬間、ガイド丙の低体温症は急速に進行し始めた。

「お客様を支えている時に風で体を持って行かれ、全身を濡らしてしまった。最大のミスで、一気に体温が下がっていった」
——ガイドC(38歳)の証言(調査報告書より)

渡渉後、次々と脱落者が出た。女性客が動けなくなり、別の2名も眠気を訴えて座り込んだ。しかしパーティは止まれなかった。4人用テントが1張りしかなく、全員が風雨を凌げる場所もなかった。

意識の崩壊

低体温症は静かに、しかし急速に判断力を奪う。体温が35℃を下回ると会話に支障をきたし、手の細かい動きができなくなる。さらに低下すると周囲に無関心になり、意味不明な行動をとり始める。本人はそれを自覚できない。

ガイド丙はテントをザックに入れたまま下山を続けた。張ることができたはずのテントを、一度も出さなかった。携帯電話を取り出したが、意識が混濁した状態でやみくもにボタンを押し続けた。正しい番号は押せなかった。翌朝、前トム平下部のハイマツの中で仮死状態で発見され、救助後に回復した。

「110番通報が通じて、自分の中で緊張の糸が切れた。最後に煙草を1本吸って死のうと考えたが、ライターが何遍やっても火がつかない。『あぁ、煙草も吸えんうちに死んじゃうんだ』と思いながら、そこから先はもう記憶がない」
——ガイドC(38歳)の証言(調査報告書より)

最終的に生還者5名が自力下山し、5名がヘリで救出された。リーダーを含む8名の死亡が確認された。死因はいずれも低体温症による凍死だった。

なぜ止まれなかったのか

2010年3月、日本山岳ガイド協会の事故調査特別委員会が最終報告書を公表した。報告書が指摘した主な要因は「出発判断の誤り」「ガイドの判断力の低下」「ツアー会社の安全管理体制の欠如」「パーティの分散」だった。

しかし報告書が最も重く問うたのは構造的な問題だ。ガイドは「雇われ」だった。中止判断をすれば会社の評価が下がる。客を安全な場所に引き返せば、次のツアーの仕事が来ないかもしれない。そうした圧力が、撤退の決断を遅らせ続けた。

重なった判断ミス
出発前の悪天候時における衣類・防寒の指示不足 / 前日の装備の濡れへの対処不足 / 北沼渡渉後の撤退判断の欠如 / 低体温症の知識と現場での対処の不足 / パーティ分散後の連絡・救助要請の遅れ

吾妻連峰の事故が「個人の慢心」なら、トムラウシは「組織の欠陥」が招いた事故だ。同じ悪天候の中、判断を変えたガイドがいた。旭岳から同日に入山した別のパーティのガイドは悪天候を見て引き返した。全員が無事だった。

低体温症という見えない敵

この事故が登山界に与えた最大の衝撃は「夏山でも低体温症で死ねる」という事実だった。気温5〜7℃、風速20m以上。この条件で濡れた状態のまま行動を続けると、体温は急速に低下する。体温35℃で意識障害が始まり、運動を止めると熱産生が失われ危機的状況に至る時間は一気に縮まる。

生還者のほとんどが「低体温症という言葉は知らなかった」と証言した。「疲労凍死」「気象遭難」として理解されてきたものが、実は低体温症だったと、この事故で初めて広く認識された。

「今回の生還者も、『疲労凍死』という言葉については多くの人が知っていたが、『低体温症』という言葉は、ほとんどの人が知らなかった。したがって、低体温症に関する正しい知識を啓蒙することは、今後の遭難防止にとって重要なことだろう」
——トムラウシ山遭難事故調査報告書より

この事故が問いかけること

この事故から16年が経つ。登山ツアーへの法的規制は強化され、ガイドの資格制度も整備された。悪天候時の中止基準の明文化も進んだ。

しかし「ガイドに判断を委ねる」という構造は変わっていない。中高年向け登山ツアーの需要は今も旺盛で、トムラウシ山縦走コースには今も多くのツアーパーティが入山する。

自分の体力を正確に把握しているか。悪天候時の撤退を自分から求められるか。ガイドを信頼することと、思考を委ねることは違う。この事故は今も、そう問いかけている。

画像:Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
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