エベレストより多い。その一文で、谷川岳という山の異常さが伝わる。

標高1,977m。ロープウェイもあり、東京から車で2時間足らずで来られる山。しかしこの山が記録した累計遭難死者数は818名、行方不明者6名(2020年時点)。世界最高峰を含む8000m峰14座すべての死者総数791名を、単独で上回っている。

なぜこれほどの死者が出るのか。高さでも、アクセスの悪さでもない。むしろその逆だ。「来やすすぎる山」であることが、谷川岳を魔の山にした。そしてこの山で命を落とした者の中には、30年間発見されなかった者も、自衛隊の銃撃でようやく収容された者もいる。

なぜエベレストより死者が多いのか

谷川岳の遭難を理解するには、まずこの山の「二面性」を知る必要がある。

天神尾根ルートはロープウェイを使えば初心者でも登れる。紅葉の季節には家族連れも多く訪れる、親しみやすい山だ。しかし同じ山の北面には、一ノ倉沢という別世界が広がっている。高さ1,000mを超える垂直に近い岩壁。剱岳・穂高岳と並ぶ日本三大岩場のひとつに数えられる、国内最難関クラスのクライミングルートだ。

問題は、この二つの顔を持つ山に、実力不相応な登山者が後を絶たないことだ。「少し登るだけ」のつもりで来た登山者が一ノ倉沢に迷い込む。岩場の経験が浅いクライマーが憧れだけで挑む。アクセスの良さが「自分でも行ける」という錯覚を生み、それが命取りになる。エベレストには物理的・経済的なハードルがある。谷川岳にはない。その差が、数字に如実に表れている。

三つの死因

① 岩壁の脆さと難易度

一ノ倉沢の岩は脆い。しっかり掴んだホールドが突然崩れる。それがこの岩場の本当の恐ろしさだ。日本三大岩場として知られるが、その難易度は傾斜角だけで測れない。ルートの複雑さ、高度感、そして一度落ちれば助からない垂直の壁。熟練クライマーでも一瞬の判断ミスが致命的になる。

② 天候の急変

「東の谷川岳、西の大山」という言葉がある。遭難の多さと気象の厳しさで並び称される二つの山だ。谷川岳が位置する三国山脈は、太平洋側と日本海側の気団がぶつかる地点にあたる。山麓が晴れていても山頂は嵐、30分で天候が一変することも珍しくない。「出発時は晴れていた」という遭難者の証言が、いかに多いことか。

③ 過信と油断

上級者ほど「知っている山」という油断が生まれる。何度も登っている山だから大丈夫、このルートは慣れているから問題ない。そういった慢心が、熟練者の命を奪ってきた。遭難統計を見ると、初心者よりもある程度経験を積んだ登山者の事故が目立つ。知識は時に、恐怖心を鈍らせる。

エピソード①:1,238発の銃撃

1960年9月、一ノ倉沢の衝立岩正面岩壁。標高約200mの地点で、2名の登山者がザイルにぶら下がったまま動かなかった。前日に入山したクライマーたちだった。

衝立岩正面岩壁は当時、登頂成功がわずか1例という超難関ルートだ。遺体に近づくこと自体が二重遭難の危険を伴う。救助隊は近づけない。かといって放置もできない。

検討の末、前代未聞の方法が採用された。自衛隊による銃撃でザイルを切断するという方法だ。相馬ヶ原駐屯地からえり抜きの射手が呼ばれた。距離132メートル。岩壁にぶら下がる細いザイルを狙い撃つ。1,238発の銃撃の末、ザイルは切断された。遺体はようやく地上に降りてきた。

山岳遭難の収容が、これほどの困難を伴うことがある。一ノ倉沢はそういう場所だ。

エピソード②:30年間、山が抱えていた

1973年、登山者が衝立岩付近で白骨遺体を発見した。身元の手がかりは、遺体とともにあった十銭硬貨だった。調べを進めると、遺体は1943年に谷川岳で行方不明になった男性のものと判明した。

30年間、山はその遺体を抱え込んでいた。家族は30年間、答えのないまま待ち続けた。

行方不明になると家族が背負うもの

行方不明になるということは、死亡とは異なる。遺体が見つからない限り、法律上は「生きている人間」として扱われる。生命保険は支払われず、保険料だけが発生し続ける。住宅ローンの団信も適用されない。本人名義の銀行口座は凍結も解約もできない。残された配偶者は再婚すらできない。

さらに深刻なのは死亡認定までの期間だ。登山届を提出して遭難した場合は「特別失踪」として扱われ、危難が去ってから1年で失踪宣告の申し立てができる。しかし登山届がなければ「普通失踪」となり、7年間の生死不明が必要になる。登山届があるかないかだけで、家族が背負う年数が最大6年変わる。

山で行方不明になることは、本人だけの問題ではない。残された家族の人生を、長年にわたって縛り続ける。

東の谷川岳・西の大山

鳥取県の大山は中国地方最高峰、標高1,729mの山だ。古くから遭難が多く「西の魔の山」として知られる。両者に共通するのは気象の罠だ。山麓と山頂の気象差が激しく、天候の急変が遭難を引き起こしやすい地形的条件を持つ。またどちらも「アクセスが良く人が集まりやすい」という点で共通している。

二つの山が並び称されるのは、単なる死者数の多さではない。「来やすい山ほど危ない」という山岳遭難の本質を、どちらも体現しているからだ。

数字で見る谷川岳

累計死者数
818
統計開始
1931年〜
年平均死者
約9
8000m峰14座合計
791

統計が始まった1931年から2020年までの約90年間で818名。単純計算で年平均約9名が命を落としてきたことになる。最も遭難が多かったのは1960〜70年代の登山ブーム期だ。装備も情報も今より乏しい時代に、空前の登山人気が押し寄せた。経験不足のクライマーが一ノ倉沢に殺到し、事故が相次いだ。

近年は減少傾向にある。登山用GPS、気象アプリ、高性能装備の普及が遭難抑止に貢献している。しかし年間ゼロにはなっていない。山は変わっていない。変わったのは人間の側だけだ。

現代の登山者へ

818名という数字を、他人事として読まないでほしい。遭難した人たちの多くは、自分が死ぬとは思っていなかった。そして行方不明になった人たちの家族は、長年にわたって法的・経済的な苦しみを背負い続けた。

岩場に挑むならヘルメットは必須だ。落石は予告なく来る。気象アプリで直前まで天気を確認し、少しでも怪しければ引き返す。そして必ず登山届を提出してほしい。それは自分のためだけでなく、残される家族のためでもある。

谷川岳は素晴らしい山だ。だからこそ、正しく恐れてほしい。備えた人間だけが、この山の本当の美しさを見ることができる。