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登山靴の200年史――地下足袋からゴアテックスまで、足元から見る登山の歴史

あなたの足元にある登山靴は、200年の歴史の積み重ねだ。猟師の革靴に鋲を打ち込んだ時代から、マナスル遠征で生まれた国民的登山靴、そしてゴアテックスとトレランシューズまで——足元から登山の歴史を読む。

革製登山靴(1982年頃)

革製登山靴(1982年頃)——ゴアテックス普及以前の時代を代表するオールレザーの登山靴 / Wikimedia Commons

登山靴の歴史 早見表
〜1880年代
猟師・水晶採りの革靴をベースに鋲を打ち込んだナーゲル靴の時代
1918年
日本で地下足袋が発明。岩場では登山靴より使いやすいと判明
1935年
イタリア・ビブラム社がゴム底を発明。登山靴の革命が始まる
1953年
マナスル遠征用にキャラバンシューズ開発。日本人の足に合う初の国産登山靴
1956年
マナスル初登頂→第一次登山ブーム→キャラバンシューズが国民的登山靴に
1976年
ゴアテックス登山靴が登場。防水革命
1990年代〜
百名山ブームで第二次登山ブーム。多様なシューズが普及
現在
ローカット・トレランシューズが台頭。「靴は重くなければならない」時代の終わり
18世紀末〜1950年代

鋲底革靴の時代——ナーゲルという名の登山靴

近代登山の発祥はヨーロッパアルプスだ。18世紀末、スイスやイタリアの猟師・水晶採りたちがガイドとして登山者の案内を始めたとき、彼らが履いていたのは普段使いの革靴だった。そこに鉄の鋲(ナーゲル)を打ち込んで滑り止めにしたのが、登山靴の原型だ。

この「ナーゲル靴」は20世紀前半まで主流だった。靴底に打ち込まれた鋲にはいくつかの種類があり、縦走用の「クリンカー」、岩登り用のギザ歯金具「トリコニー」など、用途によって使い分けられた。しかし決定的な欠点があった——とにかく重いのだ。今の登山靴の2倍以上の重量があったとされる。

さらに問題があった。鉄製の鋲は冬季には猛烈に冷え、一枚岩の上では滑る。ウォルター・ウェストンは1894年に笠ヶ岳を登った際、同行の日本人が草履で軽々と岩を渡るのを見て、自分の登山靴の底に草履を縛り付けたという記録を残している。

日本での登山靴の始まり
日本に登山靴が持ち込まれたのは1863年、アーネスト・サトウが六甲山を訪れた際とされる。一方、日本では古くから山仕事に地下足袋やわらじが使われており、1918年に地下足袋が発明されると「岩場では登山靴より使いやすい」と評判になった。加藤文太郎が1929年に冬の槍ヶ岳を単独登頂したのも、地下足袋だった。
1935年

イタリア人が起こしたゴム底革命——ビブラムソール誕生

1935年、イタリア北部のヴィターレ・ブラマーニという一人の登山家が、ゴム製のアウトソールを開発した。会社名はVitale Bramani(ヴィターレ・ブラマーニ)の頭文字を合わせた「VIBRAM(ビブラム)」。これが現代登山靴の礎となった。

開発の動機は悲劇だった。1935年、ブラマーニはラシカ山で遭難事故に遭い、6名の仲間を失った。滑りやすい鋲底靴が原因の一つだったという。その経験から、滑らない靴底の開発に生涯を捧げた。

ゴム底の性能はほぼあらゆる点でナーゲル靴を上回っていた。グリップ力、軽さ、岩場での安定性——ビブラムはソールの部品として他のメーカーにも供給したため、急速に世界中に普及した。日本へは第二次世界大戦の影響で輸入が遅れ、本格普及は1956年以降となった。

戦後〜1953年

日本人の足に合う靴がなかった

戦後の日本では、登山靴はすべてヨーロッパからの輸入品だった。問題があった。日本人の足は甲が高く幅が広い。ヨーロッパ人向けに作られた細身の革靴では、長時間歩くほどに足が痛んだ。高山での過酷な条件下でそれは命取りになりかねない。

1952年、戦後日本の国際社会への復帰をかけた一大プロジェクトが動き始めた。日本山岳会による世界初のマナスル(標高8,163m)登頂計画だ。遠征費は現在の価値で約6億円、うち3分の2が国民からの募金で賄われた。それほどの「国家的事業」だった。

この遠征に向けて、一つの問題が浮上した。カトマンズからベースキャンプまでの長い道のりを歩くアプローチ用の靴がない。高所用の重登山靴では重すぎる。かといって日本人の足に合う軽い登山靴は存在しなかった。

1953年

マナスルから生まれた「キャラバン」

この難題を解決したのが、佐藤久一朗という一人の登山家だった。慶應義塾大学山岳部出身の佐藤は、自分でザックや靴を手作りしてしまうほど手先が器用なことで知られていた。マナスル遠征隊隊長・槇有恒から靴の開発を依頼された佐藤は、遠征隊員全員の足型を一人ひとり測定して靴を作り始めた。

革命的だったのは素材だった。従来の登山靴は靴底と本体を鋲や釘で繋ぎ合わせていたため重かった。佐藤は藤倉ゴム工業と組み、ゴムと布地を特殊な接着剤で貼り合わせる新工法を開発した。アッパーには靴ずれしにくい綿帆布を、ソールには濡れた地面でも滑りにくいゴムを採用。今までにない軽量登山靴が完成した。

1953年、第一次マナスル遠征隊が出発した。登頂は果たせなかったが、この靴への評価は遠征隊員から絶大だった。ヒマラヤの現地から届いた手紙にはこう書かれていた。

「この度の布製の靴は快調です。キャラバンと愛称し、皆よろこんで履いています。こんな険しい山旅によい靴なら、日本の山歩きに最適なはずです。日本の登山界のために市販されるべきでしょう。」
——マナスル遠征隊員から佐藤久一朗への手紙(1953年)

「キャラバン」という名は、遠征隊員たちが自然につけた愛称だった。1954年、佐藤は東京銀座に株式会社山晴社(後のキャラバン)を設立。キャラバンシューズの市販が始まった。

1956年〜

マナスル登頂と第一次登山ブーム

1956年5月9日、日本山岳会隊が世界初のマナスル登頂に成功した。毎日新聞の一面を飾ったこのニュースは日本中を沸かせ、第一次登山ブームが起きた。登山は一部の愛好家のものから、一般大衆のスポーツへと変わった。

そのブームの波に乗ったのがキャラバンシューズだ。日本人の足に合い、価格も手頃。「登山靴といえばキャラバンシューズ」という時代が始まった。最盛期には年間27万足が売れ、累計600万足以上を記録。1963年には総理大臣賞を受賞した。

「キャラバンシューズ」はやがて固有名詞を超え、登山靴の代名詞になった。ちょうど「セロテープ」「ウォークマン」がそうなったように——商品名と知らずに使っている人が多かった時代がある。

ビブラムソールの日本普及も同時期
1956年のマナスル登頂をきっかけにした登山ブームは、イタリア・ビブラム社のゴム底ソールの日本普及も加速させた。戦時中から遅れていたゴム底登山靴がこの時期から急速に広まり、ナーゲル靴(鋲底靴)はほぼ姿を消した。キャラバンシューズとビブラムソール——日本の登山文化は1956年を境に大きく変わった。
1960年代〜1990年代

素材革命——革靴からゴアテックス

登山ブームの時代、本格派登山者の間では重い革製登山靴が主流だった。革靴の欠点は「足に馴染む」という長所の裏返しだ——使うほど足に合ってくるが、冬山ではシュラフに入れておかないと凍って鉄のようになる。メンテナンスも欠かせず、保革油を定期的に塗る必要があった。

冬山・高所用にはプラスチック製二重靴が登場した。インナーとアウターの二重構造で、防水・防寒性は完璧。テント内ではインナーだけで過ごせる利便性もあった。ただし「足に馴染まない」という弱点が常につきまとった。

1976年、W.L.ゴア社がゴアテックス素材を開発した。防水性と透湿性を両立するこの素材は、登山靴の世界を再び変えた。革靴の弱点だった防水性の問題が解決され、軽量化も進んだ。1980年代以降、ゴアテックス内蔵の登山靴は急速に普及し、現在では登山靴の主流となっている。

1990年代後半、深田久弥の『日本百名山』を追い風とした第二次登山ブームが起きた。百名山完登を目指す登山者が急増し、登山靴市場もさらに拡大した。

2000年代〜現在

「重い靴」の時代の終わり

長らく「登山靴は重くて堅牢でなければならない」という常識があった。しかし2000年代以降、その常識は崩れ始めた。軽量なトレッキングブーツ、さらにはトレイルランニングシューズで縦走するスタイルが台頭してきたのだ。

加藤文太郎が地下足袋で冬の槍ヶ岳を登っていた時代から約100年。重いものから軽いものへ、という大きな流れはずっと変わっていない。ナーゲル靴→キャラバンシューズ→ゴアテックス登山靴→ローカット軽量シューズ——それぞれの時代の登山者が「もっと軽く、もっと快適に」を求めてきた歴史だ。

ちなみにキャラバンシューズの旧来モデルは2005年に製造終了したが、そのDNAを受け継ぐ「C1_02S」は現在も多くの入門者に愛されている。1953年に一人の登山家がヒマラヤ遠征のために一足一足足型を測って作った靴から始まった物語は、70年後の今も続いている。

実用情報

日本人の足型と登山靴選び

「海外ブランドの登山靴を買ったら足が痛い」——これは決して珍しい話ではない。根本的な原因は、日本人と欧米人の足の形の違いにある。

欧米人の多くは足の長さと幅の比率が「10:3.5」なのに対し、日本人の半数以上は「10:4」とされる。甲が高く幅が広い——これが日本人の標準的な足型だ。草鞋・草履・下駄を中心とした日本の履物文化が、長い時間をかけてこの足型を育てた、という説もある。

この違いが、ヨーロッパ製登山靴との相性問題を生む。細身に作られた欧米向けのラスト(木型)では、日本人の足には窮屈で、長時間歩くと小指や甲が痛む。マナスル遠征の時代、「日本人の足に合う靴がない」という問題がキャラバンシューズ誕生のきっかけになったことは、前述のとおりだ。

メーカー 足幅の傾向 特徴・備考
キャラバン 日本 幅広(3E〜3E+) 1953年マナスル遠征で誕生した元祖国産登山靴。入門〜中級向けで価格も手頃。C1_02Sがロングセラー。
シリオ 日本 幅広(3E〜4E+) 日本人の足型(10:4)専用ラストで開発。製造はイタリア。幅広・甲高に特化した3種類のワイズを展開。
モンベル 日本 幅広ラインあり 軽量モデルが充実。日本の山岳環境を意識した設計で価格帯も幅広い。入門者にも選びやすい。
ローバー ドイツ 標準〜幅広 細身〜広めまでラインナップが豊富。フィッティングへの評価が高くロングトレイル向けモデルが得意。
スカルパ イタリア やや細身 北イタリア・ドロミテの老舗。クライミングから縦走まで幅広い。ハイアルパイン系モデルに定評。
スポルティバ イタリア 細身〜標準 クライミングシューズの名門。アルパイン・岩稜向けに強くアスリート志向のモデルが多い。

※足型は個人差が大きく、同じメーカーでもモデルによって異なります。必ず試着してから購入を。

特に注目したいのがシリオだ。1993年創業の日本発メーカーで、企画・開発は日本、製造はイタリアという体制をとっている。日本人の「10:4」の足型に特化した専用ラストを開発し、3E・3E+・4E+の3種類のワイズを展開している。欧米ブランドの靴が合わなかった人に試してみてほしい一足だ。

ただし最終的には「試着が全て」だ。ブランドや数値はあくまで目安で、同じメーカーでもモデルによって形状は異なる。登山靴は厚手の靴下を履いた状態で、夕方(足がむくんだ時間帯)に試着するのが理想とされている。

画像:Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
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