山の怪異(伝承)

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山で見た「あれ」の正体――遭難者が語る幻覚・幻聴と、山の怪異の科学

「誰かに呼ばれた気がした」「知らない人が先を歩いていた」「光が山の中で揺れていた」——山での不思議体験は古くから語り継がれてきた。それは霊なのか。それとも、体が発するSOSのサインなのか。遭難者の証言と医学的知見から読み解く。

霧の登山道(蛾眉山)

霧に包まれた登山道——視界が奪われた山中では、人間の感覚は容易に狂い始める / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0

山には何かがいる、という感覚

山で長く働いてきた人々——猟師、山小屋の主人、山岳救助隊員——が語る不思議な体験には、奇妙な共通点がある。人の気配、声、光、そして道案内をするように見える存在。それらはたいてい霧の中や夜明け前、あるいは体が限界に近づいたときに現れる。

ライター・田中康弘氏が全国の山に関わる人々への聞き書きをまとめた『山怪』シリーズ(山と溪谷社)は、こうした体験談を集めた書籍として登山者の間で広く読まれている。読者に「じわじわとくる怖さ」と言わしめるのは、体験者が嘘をついているわけでも誇張しているわけでもなく、本当にそれを見た、聞いたと確信しているからだ。

では、山で起きる不思議な体験は何によって引き起こされるのか。遭難者の証言と、医学・生理学の知見を重ね合わせると、ひとつの答えが浮かび上がってくる。

遭難者が語った「あの体験」

山岳遭難の取材を長年続けてきたノンフィクションライター・羽根田治氏の著書『山岳遭難の教訓』(山と溪谷社)には、大峰山系で単独行中に遭難したKさん(当時69歳)の手記が収録されている。2011年8月、弥山の山小屋に1人で宿泊した翌日から体調が崩れ始めたKさんは、その後数日間、山中で不思議な体験をすることになる。

Kさんの手記には、ある晩の出来事がこう記されている——周囲の景色がいっせいに光り輝き出した。どこかに大きな寺院があってライトアップしているのだろうと思い、しばらく見とれていると、やがて光は消えてもとの景色に戻った、と。

翌日以降もKさんは行動を続けたが、体力は着実に奪われ、最終的に遭難状態に陥った。後に生還を果たしたKさんの手記は、「山の怪異」と「遭難の前兆」が重なり合う瞬間の記録として読むことができる。

「山で長く働いた人たちに話を聞くと、普通の人には信じられないような体験を普通に話してくれる。彼らは嘘をついているわけでも、怖がらせようとしているわけでもない。ただ、そういうことがあった、と言う」
田中康弘『山怪』(山と溪谷社)の趣旨を要約

遭難者の証言の中でとりわけ頻繁に登場するのが、「声に呼ばれた」という体験だ。疲弊した登山者が稜線で自分の名前を呼ぶ声を聞いたと語る例、誰もいないはずの場所で足音を聞いたという例は、救助隊員のあいだでも「よくある話」として共有されている。

体が限界に近づくと脳は「見えないもの」を見る

これらの体験には、医学的な説明がある。低体温症だ。

日本救急医学会の基準によれば、人体の深部体温(直腸温)が35℃以下になった状態を低体温症という。山岳医療の現場ではこれを4段階に分類している。注目すべきは、深部体温が30℃付近に下がるⅡ度(中等度)の段階で起きる症状だ。

🧪 低体温症の進行と症状(日本救急医学会・山岳医療機構の資料を元に作成)
深部体温重症度主な症状
35〜32℃Ⅰ度(軽度)震え・物忘れ・無気力・ろれつが回らない
32〜28℃Ⅱ度(中等度)震えが消える・意識混濁・幻覚・錯乱・判断力の著しい低下
28℃以下Ⅲ度(重度)意識消失・不整脈・筋肉硬直
〜20℃Ⅳ度心停止・死亡

Ⅱ度に達すると「つじつまの合わないことを言う」「錯乱」「幻覚」が医学的な症状として現れる。このとき本人は自分が低体温症であることに気づかない——これが最も危険な特徴だ。

つまり、遭難者が「光が見えた」「声が聞こえた」と語るとき、それは脳が体温低下によって正常な判断力を失い始めているサインである可能性が高い。怖いのは、当人が「自分は正常だ」と確信したまま行動を続けることだ。

低体温症は冬山だけの話ではない。山岳医療の専門家が繰り返し指摘するように、「低温・濡れ・強風」の3条件が重なれば夏山でも発症する。2009年7月のトムラウシ山遭難(8名死亡)は真夏の出来事だった。

⚠ 特に危険な「震えが止まる」瞬間
体が冷えてくると最初は激しく震えるが、深部体温が32℃を下回るとその震えが止まる。これは「暖かくなった」のではなく、体が熱を作り出すエネルギーすら尽きた証拠だ。2009年のトムラウシ遭難でも、亡くなった方の何人かはダウンやフリースをザックの中にしまったまま持っていた。着込む判断ができなくなっていたのだ。

山の怪異体験を科学で読み解く

では、山で語り継がれる不思議体験のすべてが低体温症や疲労による幻覚で説明できるのかといえば、必ずしもそうではない。体力・体温ともに正常な状態で、複数の登山者が同じものを目撃したという報告も存在する。

ただ、以下のような体験については、対応する生理学的・物理的な説明がある程度可能だ。

👀 知らない人が前を歩いている
稜線や霧の中での視覚的錯覚。岩や木の影が人の輪郭に見える「パレイドリア(人面岩現象)」は、脳が「人の形」を優先して認識しようとする仕組みによる。
生理学:パレイドリア、低体温症による視覚認知の歪み
👂 名前を呼ばれた気がした
風の音・沢の音・木々のざわめきが、特定の音として脳内で変換される聴覚的錯覚。特に疲労・低酸素状態では脳の聴覚処理が不安定になる。
生理学:高所低酸素による神経活動の変調、疲労時の錯聴
🩸 道が突然わからなくなった
低体温症Ⅰ度から見当識障害が始まる。自分がどこにいるか、来た方向はどちらかがわからなくなる。「道に迷った遭難者はなぜか下に向かう」という定説はこの症状と関係がある。
医学:低体温症による見当識障害、判断力低下
💡 山の中に光が見えた
リン光(有機物の腐敗発光)、気象条件による光の屈折、あるいは低体温症・高所低酸素による視覚皮質の誤作動。山中でのKさんの体験はこの最後に近い可能性がある。
物理:大気光学現象、医学:低体温症による幻視

ただし、これらの「説明」は体験を否定するものではない。「怪異かもしれない体験が、同時に体のSOSでもある」——この二重の読み方が山の怪異を理解するうえで重要だと思う。山を長く知る人々が「あれは何だったのか」と語り続けるのは、体験そのものが確かにあったからだ。

山で働く人々が語り続ける理由

田中康弘氏の『山怪』シリーズが多くの読者を獲得したのは、体験談の「質」にある。登場するのは猟師、マタギ、山小屋の主人、林業従事者——山を生業にし、何十年も山と向き合ってきた人々だ。彼らが語る体験は、一夜限りの怖い話ではなく、山での長年の観察から導き出された「山の法則」のように聞こえる。

そしてその体験の多くは、低体温症や疲労だけでは説明しきれない状況で起きている。体力も十分で、天候も安定した日中に、複数の人が同時に同じものを見たという証言もある。

科学は多くを説明できるが、すべてを説明できるわけではない。山は今も、その深部に人間の認識を超えた何かを抱えているのかもしれない。ただ確かなことが一つある——山で「あれ」を見たとき、それが何であれ、自分の体の状態を確認する良い機会だということだ。

「遭難を防ぐには、『危険』が何かを知ることより先に、危険を危険として感じとる感覚を取り戻すことが必要だ。山の怪異に感じる恐怖と、山の危険に感じる恐怖は、もしかしたら同じ根っこにあるのかもしれない」
日本山岳救助機構(jRO)コラム「怪異と山岳遭難の意外な共通点」の趣旨を要約

山の怪異を「ただの迷信」と切り捨てることも、「すべて超常現象だ」と盲信することも、どちらも山を知ることにはならない。山で何かを感じたとき、それを「体からのサイン」として読み取る感覚——それが登山者に必要なもっとも原始的な能力なのかもしれない。

画像:Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
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