恵那山――天照大神の胞衣を納めた山、その1300年の信仰史
標高2,191m。中央アルプス最南端に端正にそびえるこの山には、日本神話の始まりにまつわる伝説が宿る。「胞衣(えな)」という山名の由来から、麓に刻まれた神話の地名まで。
恵那山(標高2,191m・長野県阿智村〜岐阜県中津川市) / Wikimedia Commons / CC BY-SA 3.0
「恵那山」という名前を聞いて、ほとんどの人は中央自動車道の恵那山トンネルを思い浮かべるだろう。1975年の開通当時、日本一の長さを誇ったこのトンネルによって、山の名は全国に広まった。
しかし恵那山が「恵那山」と呼ばれる理由を知る人は少ない。この山の名前は、日本神話の最初の光——天照大神の誕生にまで遡る。
胞衣山という名前
恵那山はかつて「胞衣山(えなさん)」と呼ばれていた。胞衣(えな)とは、出産の際に胎児を包む胎盤とへその緒のことだ。
伝説によれば、国生みの神・伊邪那岐(イザナギ)と伊邪那美(イザナミ)が天照大神を産んだとき、その胞衣をこの山に納めた。清められたへその緒は恵那神社の社宝として今も伝わり、天照大神の誕生に立ち会った山として、1300年以上にわたって信仰を集めてきた。
江戸時代の地誌『吉蘇志略』には「天照大神がここで降誕され、その胞衣がこの山に埋められた」と明記されており、山名「恵那」の由来として伝わっている。延長5年(927年)に完成した延喜式神名帳には「恵奈神社」として記載されており、この時点ですでに式内社として認められた格式ある神社だった。
麓に刻まれた神話の地名
驚くべきことに、天照大神の「誕生」にまつわる伝説は山名だけでなく、麓の地名にも深く刻み込まれている。
これほど密度の高い神話的地名が一つの山の周辺に集中している例は、日本でも稀だ。恵那山はただの「山」ではなく、神話の舞台として機能した聖地だったことがわかる。
山頂に鎮座する7つの社
恵那山の山頂には、現在も恵那神社奥宮として7つの社が鎮座している。葛城社・富士社・熊野社・神明社・劔社・一宮社——それぞれに異なる神が祀られ、山頂一帯が一大信仰空間を形成している。
主祭神はイザナギ・イザナミ。摂社にはアマテラス・猿田彦・木花咲耶姫など、日本神話を代表する神々が名を連ねる。山全体がいわば「神の系譜」を体現した場所だ。
熊野社の存在は、修験道との深い関わりを示している。御嶽山黒沢口を中興した覚明行者が明和年間(1764年頃)に恵那山を山岳道場として修行に励んだとも伝わり、修験者たちが前夜に恵那神社で禊ぎをして登山を行う慣わしが続いた。
恵那講の流行と文学
江戸時代から明治・大正にかけて、恵那山への参拝は一大ブームを迎えた。中山道沿いの村々から「恵那講」と呼ばれる参拝講が組まれ、白装束に身を包んだ一般の人々が列をなして山に向かった。前夜は恵那神社に一泊し、禊ぎをしてから登山するのが習わしだった。
恵那山は文学者の想像力も刺激した。木曽の馬籠宿(現・中津川市)に生まれた島崎藤村は、長編小説『夜明け前』(1929〜1935年)にこの山を描いた。木曽路の夜明けを見つめる主人公の背後に、どっしりとした恵那山の影がある。
深田久弥は1960年4月、黒井沢ルートから恵那山に登り『日本百名山』にこの山を選んだ。深田は「展望はよくないが、この山には独特の品格がある」という趣旨の文章を残している。百名山の選定基準「品格・歴史・個性」のすべてを、この山は静かに備えていた。
現代の恵那山
1975年の中央自動車道・恵那山トンネル開通(開通当時、日本一の長さ8,640m)によって、恵那山の名は日本中に広まった。しかしトンネルを通過するドライバーの多くは、その山名に込められた神話の記憶を知らない。
現在の恵那山は、広河原ルートや黒井沢ルートから日帰り可能な百名山として登山者に親しまれている。山頂の展望はトウヒやコメツガの樹林に遮られてあまり良くないが、避難小屋裏の岩場からは北アルプス・南アルプス・御嶽山・富士山まで望むことができる。
濃尾平野の東に悠然とそびえるその姿は、古代から変わらない。伊邪那美が産後に腰を休め、天照大神の胞衣が納められたとされるこの山は、今も静かに濃尾の地を見守り続けている。
