植村直己――「世界のウエムラ」、デナリに消えた冒険家
1941年、兵庫県の農家に生まれた末っ子は、大学で初めて山を知り、そのまま世界へ飛び出した。エベレスト、五大陸最高峰、北極点——世界初を塗り重ねた男は、43歳の誕生日に最後の頂を踏み、還らなかった。
デナリ(旧称マッキンリー)――1984年2月、植村直己が世界初の冬季単独登頂を果たし、そのまま消えた山 / Wikimedia Commons / Public Domain
「やっているのは本人なんだけど、やらせてくれるのは周囲の人。だから、絶対に生きて帰らなきゃいけない」
植村直己はマッキンリー入山前、そう語った。「生きて還る」を信条とした男が、なぜ厳冬の北米最高峰に単独で挑んだのか。その問いに答えるためには、植村の人生全体を見なければならない。
山を知らなかった青年
1941年2月12日、兵庫県城崎郡国府村(現・豊岡市日高町)の農家に7人兄弟の末っ子として生まれた。実家は農業とわら縄製造。冬は日本海から吹く季節風で雪が深く積もる、但馬の山村だった。
明治大学農学部に入学後、何日も部室の前を行ったり来たりした末に、山岳部の扉を叩いた。登山の知識も経験もなかった。上級生と山の厳しさに「殺されるんではないか」と思い、何度も退部を考えた。それでも続けた。3年生になるころには年間130日も山に入るようになっていた。
山が植村を変えた——というよりも、山が植村の中にあった何かを引き出した、という方が正確かもしれない。
片道切符で世界へ
1964年、明治大学を卒業した植村は片道切符だけを持って移民船でアメリカに渡った。農場でアルバイト中に不法就労が発覚し国外退去処分。そのままフランスへ流れ、スキー場で働きながらヨーロッパの山々を登り始めた。
1966年モンブラン(ヨーロッパ最高峰)単独登頂。1967年キリマンジャロ(アフリカ最高峰)単独登頂。1968年アコンカグア(南米最高峰)単独登頂。五大陸最高峰制覇の計画が、この放浪の中で静かに芽生えていた。
北米に向かう途中、手作りのいかだでアマゾン川6,000kmを下った。無計画で無謀に見えるが、植村には一貫した方向性があった。大きな夢へ向かって、一歩ずつ実力をつけていくこと。
植村直己の世界初
エベレストから北極へ
1970年5月、日本山岳会のエベレスト登山隊に荷揚げ・ルート工作要員として参加した植村は、その抜群の体力が認められ第1次アタック隊に抜擢された。5月11日午前9時10分、松浦輝夫とともに登頂。29歳で日本人初のエベレスト登頂者となった。
同年8月にはマッキンリー単独登頂を果たし、五大陸最高峰制覇を達成した。しかしこれは、植村にとってゴールではなくスタートだった。
エベレスト登頂後、植村は山岳から極地へと舞台を移していく。1972年、北極圏グリーンランド最北の村でイヌイットと1年間生活をともにし、犬ぞりの操り方、アザラシの生肉の食べ方、極地での生存技術を体で覚えた。これはすべて、南極大陸単独横断という究極の夢に向けた準備だった。
1978年、グリーンランドから北極点まで57日間の単独犬ぞり行に成功。「世界のウエムラ」の名が世界中に轟いた。
夢——南極大陸単独横断
植村の生涯をかけた夢は「南極大陸単独犬ぞり横断」だった。北極点到達後も、すべての冒険はこの夢への準備だった。
1982年、アルゼンチン軍の協力を得て南極横断計画は実現寸前まで来ていた。しかしその年、フォークランド紛争が勃発。計画は白紙に戻った。
失意の植村が次に向けた目標は、マッキンリーの冬期単独登頂だった。南極再挑戦のための資金調達と宣伝、そして極寒への対応力の確認——複数の目的が重なっていた。「生きて還る」を信条としてきた植村が、厳冬期の北米最高峰に単独で向かったのは、南極への夢を諦められなかったからだ、という見方が今も根強い。
43歳の誕生日に
1984年1月26日、植村はマッキンリーのカヒルトナ氷河に降り立った。テントを持たず、雪洞を掘りながら登り続けた。気温はマイナス40度以下。雪洞で震えながら日記を綴った。
1984年2月12日午後6時50分——植村直己の43歳の誕生日——世界初のマッキンリー冬期単独登頂を果たした。翌2月13日午前11時、軽飛行機との無線交信で「登頂成功、現在位置は高度20,000フィート」と告げた。それが最後の交信となった。
捜索が行われた。雪洞で日記とカメラが発見された。2月16日には、パイロットが高度4,900m地点の雪洞で植村と思われる人物が手を振るのを目撃した。しかしその後、姿は確認できなかった。2月26日、「生存の可能性は100%ない」として捜索が打ち切られた。
遺体は今も発見されていない。植村直己はデナリに眠っている。
消息不明の知らせを受けた日本政府は、同年、国民栄誉賞を授与した。植村直己、43歳。日記にはまだ、白いページが残っていた。
